浜の湯では「また、食べに来るよ!」とお客様にお褒めをいただくほど料理にたいしてもこだわりはかなりなものがございます。浜の湯の料理は、浜の湯で働くスタッフ皆で築きあげ、お客様からの叱咤激励から生まれ確立してきました。
一番うれしいことは、やはりお客様から「美味しかったよ!」と言われることです。声をかけていただいたお部屋にご挨拶に伺うこともあるのですがその時に「美味しかった。一生の想い出になるよ!」と言われると、うれしくて涙がこぼれそうになります。それがまた”もっと頑張ろう!”という熱意の原動力にもなっているのです。
私は妻もめとって家庭も構えてはいますが、人としても料理人としてもまだまだだと常に思っています。もちろん、食に対する向上心と、お客様が「旨い!」と言っていただける料理の追究心は誰にも負けないと自負してはおりますが。そんな、自分ではまだ中途半端だと考えている私が、浜の湯の料理長を勤めさせていただいているのはなぜでしょう…?
私が料理人になったきっかけは、小学校の頃から料理が好きで家でつくっていたのですが、それを食べた家族が「美味しい!」と言ってくれたのが原体験になっています。子供心にも、自分がつくったもので人を喜ばせる醍醐味というのを覚えたのでしょう。それから時を経て、様々な旅館様やお食事処での修行の紆余曲折を経て、鈴木社長とのご縁で浜の湯へ入社いたしました。その裏には、稲取らしいエピソードがあるのです。
それは、鈴木社長が稲取の消防団長を勤め、地祭りの仕切りをする際のこと。私はその下で”世話焼き”というまとめ役をしていました。 稲取の消防は漁師町独特で気性が荒く、上下関係は軍隊並みに厳しいものがあります。そのため、分団長と世話焼きは、まさしく親子関係。一生のつきあいをするとされています。ですから、私も分団長に恥をかかせたら自分達の恥になってしまう。後世に変な汚点を残さぬよう死に物狂いで頑張りました。 そのかいあって祭りも成功!それがご縁で、鈴木社長のもとで浜の湯の成長に少しでも食の部分で貢献できればと想い入社をお願いしたのです。そこから煮方などで修行をし2007年の8月に、恐れ多くも料理長にならせていただきました。
現在は、私を含めて10人が調理場で働いていますが、そのうち8人は私よりも年齢もキャリアも上の年上の方ばかり。 そんな中、年下の私が料理長として「親父さん」とか「板長」と呼んでもらいながら勤めている信条は、 皆に敬意を払いながら、吸収できる知識や技術も常に勉強させていただくということ。 そして、大切にしていることのひとつに細やかなコミュニケーションがあります。調理場の皆にはもちろんのこと、 料理をお客様に運んでもうらう客室係さんたちとの密接なコミュニケーションも常に大事にしています。それが、しっかりとした信頼関係を生むからです。
ですから、よく皆と呑みにも行きます。もちろん、厳しくもしますし、ダメな時には筋道をたててちゃんと理解させながら叱ります。 そしてとことん腹を割って話し合います。そのおかげでしょうか?浜の湯のスタッフはみんなが本当に仲が良いのです。私はこれまで、いろいろな親方のもとで働かせていただいて、その過程で良いことも悪いこともありました。そこから本当に様々なことを学ばさせていただきました。 手前味噌ですがそうした、人としての成長がいま、調理場の皆やお部屋係さん他の多くのスタッフ達との潤滑なコミュニケーションに役立っているのだと思います。
私は浜の湯の料理に誇りを持っています。それは、皆で築き上げてきた味わいだからです。 ですから、例えば100人のお客様がいて、なかには数人、お口に合わなかったと思う方も正直いらっしゃいます。 でも私は、いまの浜の湯の料理をその方たちにあわせて変えようとは思いません。
浜の湯の料理を気に入っていただいた方にまた、来ていただければいいと想っているからです。 このように申し上げると融通が利かず傲慢に聞こえるかもしれませんが、いまの料理にも浜の湯イズムとでも言うべきものがあるからです。それは、みんなで築き上げ、お客様からの叱咤激励から生まれ確立したものだからです。
でも、だからこそ、常に、食べ歩きや洋食の知識も取り入れるなどの勉強は怠りません。 お口に合わないというお客様がたとえ数人でもいた事実があるのなら、なぜそうなのだろうか?という自問を常にしながら、より高みを目指したいからです。
人としても料理人としても、まだまだ中途半端な私がだからこそ、もっともっと良い食をこれからもお客様に提供できる。その想いを胸に、浜の湯を日本一の旅館にしたいという夢に向かって、私は今日も調理場に立ち続けるのです。